荻窪の紹介


南口仲通り商店街
杉並区の地名のおこりは、江戸時代の初め、成宗・田端両村の領主であった岡部氏が、領地の境界のしるしとして、青梅街道に沿って植えたと言われる杉並木があったことに始まります。
この杉並木は明治前になくなってしまいましたが、その後「杉並」の名は村名として採用され、町名、さらに区名となって現在に至っています。

ハクサン通り・南口北側

西口駅前・南側
 
 
 
地名の由来は、光明院という古寺にあります。
中世の荻窪は豊島郡に属し、文明9年(1477年)に豊島氏が太田道潅に滅ぼされるまでは豊島氏の領地で、その後は扇ヶ谷上杉氏、北条氏、徳川氏の領地となりました。江戸時代初期には、荻窪村を京都に近い西側を上荻窪村、遠い東側を下荻窪村の2つの村に分けられ、下荻窪村は伊賀忍者の隊長服部半蔵の知行地に、上荻窪村は伊賀同心八名の知行地になりました。
その後、下荻窪村は幕府直轄の天領となり、後の寛永12年(1635年)に麹町山王日枝神社領になりました。上荻窪村も天領になりました。
     
教会通・北口
 
JR中央線で、新宿駅から約10分の荻窪は、杉並区内でも比較的発展し、生活に適した街となっています。
その理由の一つとして、荻窪が杉並区内の交通の要衝であることがあげられます。
北口広場は青梅街道と隣接しており、杉並区北部や練馬区方面行のバスの発着場になっています。
この付近の青梅街道は大通り商店街と呼ばれ、両側の歩道には銀行や商店がびっしり並んでいます。
   
   
西口駅前・2階改札前 北側
交通の便利な荻窪
杉並区の中央を東西に横断しているJR中央線には、区内に4つの駅があります。その中で荻窪駅は、駅の利用者の数が際立って多く、駅を起点とするバス路線が便利で、杉並区の交通の中心になっています。
   
 

丸ノ内線始発駅です。一本待てば座ってゆっくりと通勤・通学ができますので学生や会社員の方に非常に人気があります。荻窪〜池袋までは48分です。
中央線はお茶の水と三鷹の間が「快速線」と「緩行線」の複々線になっていて、快速と各駅停車とで使い分けています。
一日の大部分の時間帯は両方が走っていますが、早朝と深夜は各駅停車だけになります。
快速運転の時間帯に東京駅から出る中央線はすべて快速となり、各駅停車は他の線との直通運転になります。 平日の快速は杉並区内の4駅(高円寺・阿佐ヶ谷・荻窪・西荻窪)全部に停車しますが、休日は荻窪だけに停車します。

西口・南側 すずらん通り

 

   
 
鎌倉武士の気概を伝える頼朝ゆかりの八幡宮。緑あふれる広い境内は、とても青梅街道が隣接するとは思えないほどの静けさ。歴史を数多く語る文物も数多く、例大祭も興味深い。
井草八幡宮は鎌倉幕府の祖・源頼朝の創建と伝えられています。明治時代までは「遅野井八(おそのい)幡宮」と呼ばれていました。奥州藤原氏の征伐に向かう途中、当地で戦勝を祈願した頼朝が、自らの弓で水乞いをしたところ、肝心の水がなかなか湧き出てこない。そこで「遅い!」と言ったことから「遅野井」の名前がついたと伝えられている。当宮周辺では約140類の植物があり季節、気候により実にさまざまな景観が楽しめる。写真は数多くの大木に囲まれて立つ本殿、赤く塗られた大灯篭、緑豊かな参堂など。祭神・八幡大神(応神天皇)。
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善福寺池を取り囲み、武蔵野の面影を残す善福寺公園。春にはソメイヨシノの花びらが池面を埋め、辺り一帯が薄紅色に染まる。まさに春爛漫といった風情が楽しめる。他にもアシの群生など水生植物が色々と茂っており、貸ボートやゲートボール、ブランコなどで老若男女が生き生きと時間を楽しむ姿があちこちに見られる。写真は公園見取り図、悠々と泳ぐカモ、アシの群生付近など。
   
 
曹洞宗宝珠山観泉寺は今川氏のゆかりの寺として有名。山門を入ると正面に立派な本堂、手入れの行き届いた庭、右手には竹薮があり、訪れる人を静かな気持ちにさせてくれる。ここの墓地には今川家累代の墓所があり、慶長20年(1615)12月28日の一周忌銘のある今川氏真、明治20年(1887)11月3日の没年銘のある範叙(26代)など一族の墓が保存、供養されています。戦国の武将今川義元の息子氏真は、桶狭間の戦いで敗死した父の後を継ぎました。しかし桶狭間での重臣団の死、松平元康の離反、武田信玄の侵攻などに対抗しきれず太守としての今川氏の滅亡を招いた。氏真は蹴鞠の名手で、和歌・漢詩・書道を身につけた文化人であり、一方灌漑事業も行いました。
平和な世であったらよき領主だったろうと思われます。
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クラシック音楽評論家の大田黒元雄(1893〜1979)という方の私有地であった場所。戦後、18年間にもわたってNHKラジオ「話の泉」という番組の解答者として人気を博した方です。戦前にロンドン大学に留学し、帰国後、『バッハよりシェーンベルヒ』という著作をあらわし、日本にはじめてストラビンスキーやドビュッシーを紹介し、多彩な著述活動だけでなく音楽家・鑑賞団体などの育成にも熱心に身を砕き、日本の音楽普及に貢献のあった人です。この大田黒元雄氏の住居があった2680平方メートルちかい敷地は、荻窪をこよなく愛した氏の遺志により杉並区に寄付され、隣接した土地ともども整備をされ、8972平方メートルあまりの公園に生まれ変わりました。園内は戦前からの邸宅のおもかげをよく伝え、瀟洒な正門をくぐると樹齢80年以上のイチョウ並木のくだり坂がえんえんと続き、うっそうとしたケヤキ・アカマツ・シイノキに囲まれた湧水から導かれたせせらぎも園内を流れて、四阿をしたがえた池に注いでいる。また中に立ち入ることはできないが、氏の愛用したピアノやテーブル・書斎机・椅子などがガラス窓ごしに眺められる。休日、平日を問わず老若男女が集い思い思いの時間を過ごしています。
   
 

中央線、地下鉄丸の内線「荻窪駅南口」から徒歩10分。区政50周年記念施設として建設された近代的デザインの3階建図書館です。杉並区の他の図書館を結ぶ要としての機能を備えているだけでなく視覚障害者へのサービスも充実。他にフィルムライブラリを含む視聴覚事業と新たな図書館サービス機能も備えています。隣接施設として区立荻窪体育館もあります。

中央図書館

 

 

・杉並区役所  http://www2.city.suginami.tokyo.jp/top.asp
・杉並区図書館 http://www.library.city.suginami.tokyo.jp/



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